震災復興2015年08月03日 18:27

遠野を後にして、3.11の被災地を通りながら一関に移動を開始しました。気がつけが4年の月日が流れました。2011年の秋に石巻に仕事で訪問した際に、仙石線から見た車窓は衝撃的でした。子供には、どこかの機会で一緒に被災地に訪問し、テレビの中の世界ではなく現実であることを目に焼き付けてもらおうと思っていました。そうこうしているうちに4年が経ちましたが、まだまだ道半ばとのことで、今回、立ち寄ってみることにしました。
ルートは、遠野〜大船渡市〜陸前高田市〜一関です。立ち寄るというよりは、車窓から現実を垣間見ることでできればなと思っていました。まず、大船渡市。大船渡の街が一望できる城山公園に、希望の灯りと呼ばれる、神戸から分灯を受けた碑があります。
城山公園から見える大船渡市は、未だに復興とは程遠いもので、ニュース映像で見た津波に街が流されたままの更地でした。
城山公園の表示されている震災前の写真と現在はあまりにもかけ離れています。
城山公園の帰りに、大船渡旧市庁舎を通りました。写真を撮りましたが、4年経った今でもあまりにも壮絶で、車から降りることができずに車の中から撮影しました。
大船渡を後にして、陸前高田に移動。途中の車窓からも、廃墟となった建物や、津波で全て流してしまったような瓦礫の更地を目にします。陸前高田には、何にもありません。奇跡の一本松は、観光地となっており、多くの人が訪れています。残念ながら、現在は、枯れてしまっていますが、周辺の他の松が流されている中、一本立っている姿には感じるものがあります。
一本松の下にある建物はユースホステルだそうです。
陸前高田市は、津波で流された部分に土砂を入れて、土地自体をかさ上げしようとしています。ベルトコンベヤーで土砂を運んでいますが、気が遠くなるような感じで、一体いつ終わるのでしょうか。
奇跡の一本松のそばに、ガソリンスタンドがあります。そこでガソリンを入れましたが、そこの看板に津波の到達点が表示してあります。実際に、津波から避難された方が、この看板によじ登って、一命を取り留めたそうです。実際に看板を見ると、後ちょっと、津波が高ければよじ登った方の命もと思うとゾッとしてしまいます。
実際に、話を聞いたり、新聞の記事やテレビの映像で見るのと、訪れて見るのでは、大きく違います。機会があれば、ぜひ、訪れて見ることを勧めたいなあと思いました。
その後、一関に移動し、夕食は、ホテルのそばのびっくりドンキー。
夜は部屋で寝酒をして寝ました。

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