岩手2015年08月04日 18:50

三沢空港に戻り、自宅に帰宅。
今回、娘と二人の岩手旅行でしたが、楽しく過ごすことができました。
東北は震災から4年、まだまだ道半ばですが、早く復興して欲しいと思います。そのためには、我々ができることは少ないかもしれません。ですが、観光で東北に訪れるだけでも、復興支援の一つになるんじゃないかと思います。
今まで、東北に訪れる機会はなかなかありませんでした。遠野や平泉など観光地として魅力的なところが多く、他の方に是非お勧めしたい場所です。
また是非、遊びに来たい。

宮沢賢治2015年08月04日 15:14

平泉を後にして花巻へ。
ここは、宮沢賢治ゆかりの地である。幾つかのMuseumが点在しており、まずは、代表的な宮沢賢治記念館へ。
ここは宮澤ワールドを如何なく発揮しています。宮沢賢治ファンにはたまらないところなんだろうなと思いました。
昼食は、記念館の隣にある、山猫軒へ。
注文の多い料理店をモチーフにした外観のレストラン。
雰囲気はありますが、別にお客さんに注文はありませんんし、メニューも豊富ではない。すいとん定食を頼みました。
昼食後は、宮沢賢治童話村に足を伸ばしてみました。花巻のパンフレットに、銀河ステーションの格好いい写真があるのですが、その駅舎が入り口になってます。写真で見るよりも現実はそんなに格好がいいものではないんですが。。。この童話村も宮沢ワールドをいろんな仕掛けで見せてくれます。
最後は、宮沢賢治が実際に住んでいた宮沢賢治先生の家に。岩手では、宮沢賢治は非常に尊敬され、愛されており、今でも宮沢賢治先生と呼ばれています。同郷の石川啄木は、遊び人だったりしているので、あまり好まれておらず、非常にコントラストがあります。人間、功績だけではなく、人としても尊敬されるような振る舞いをしなければいけないということでしょうか?
花巻の最後は、市内にあるマルカン百貨店の上で、巨大ソフトとパフェを娘と食べて、旅行を締めました。

平泉2015年08月04日 10:06

平泉の中尊寺。
ここは、金堂で有名で、世界遺産にもなっています。果たしてどんなもんかと思いながら訪れました。
参道の入り口から15分ほど歩くと、金堂の入り口に着きます。外から見ると、何がすごいの?と思うような建物です。無知とは怖いもので、これが金堂の、覆堂と呼ばれる金堂を守るための建物です。
中に入ると、言葉に尽くせない金色のお堂と仏像があります。百聞は一見に如かずと言いますが、こればかりは実際に見てみないとその凄さがわからないと思います。
もともと建立された時は、屋外にあったそうです。その後、覆堂が建築されました。現在のは、昭和に建てられたもので、昔、建てられたものがそばにありました。
中尊寺の後は、高館義経堂を訪れました。義経がここで処刑されたという場所で、祀ってあるそうです。中尊寺と比べて、知名度が高くないようで、私たちの他に観光客は一組しかいませんでした。
素朴な山寺という佇まいですが、雰囲気はとってもあります。そばには、松尾芭蕉の夏草や兵どもの夢の跡の碑がありました。

震災復興2015年08月03日 18:27

遠野を後にして、3.11の被災地を通りながら一関に移動を開始しました。気がつけが4年の月日が流れました。2011年の秋に石巻に仕事で訪問した際に、仙石線から見た車窓は衝撃的でした。子供には、どこかの機会で一緒に被災地に訪問し、テレビの中の世界ではなく現実であることを目に焼き付けてもらおうと思っていました。そうこうしているうちに4年が経ちましたが、まだまだ道半ばとのことで、今回、立ち寄ってみることにしました。
ルートは、遠野〜大船渡市〜陸前高田市〜一関です。立ち寄るというよりは、車窓から現実を垣間見ることでできればなと思っていました。まず、大船渡市。大船渡の街が一望できる城山公園に、希望の灯りと呼ばれる、神戸から分灯を受けた碑があります。
城山公園から見える大船渡市は、未だに復興とは程遠いもので、ニュース映像で見た津波に街が流されたままの更地でした。
城山公園の表示されている震災前の写真と現在はあまりにもかけ離れています。
城山公園の帰りに、大船渡旧市庁舎を通りました。写真を撮りましたが、4年経った今でもあまりにも壮絶で、車から降りることができずに車の中から撮影しました。
大船渡を後にして、陸前高田に移動。途中の車窓からも、廃墟となった建物や、津波で全て流してしまったような瓦礫の更地を目にします。陸前高田には、何にもありません。奇跡の一本松は、観光地となっており、多くの人が訪れています。残念ながら、現在は、枯れてしまっていますが、周辺の他の松が流されている中、一本立っている姿には感じるものがあります。
一本松の下にある建物はユースホステルだそうです。
陸前高田市は、津波で流された部分に土砂を入れて、土地自体をかさ上げしようとしています。ベルトコンベヤーで土砂を運んでいますが、気が遠くなるような感じで、一体いつ終わるのでしょうか。
奇跡の一本松のそばに、ガソリンスタンドがあります。そこでガソリンを入れましたが、そこの看板に津波の到達点が表示してあります。実際に、津波から避難された方が、この看板によじ登って、一命を取り留めたそうです。実際に看板を見ると、後ちょっと、津波が高ければよじ登った方の命もと思うとゾッとしてしまいます。
実際に、話を聞いたり、新聞の記事やテレビの映像で見るのと、訪れて見るのでは、大きく違います。機会があれば、ぜひ、訪れて見ることを勧めたいなあと思いました。
その後、一関に移動し、夕食は、ホテルのそばのびっくりドンキー。
夜は部屋で寝酒をして寝ました。

遠野-河童おじさん2015年08月03日 11:19

今回の旅行の目的である遠野の河童淵へ。9時から伝承園で、河童おじさんと待ち合わせ。事前に連絡をして案内をお願いしました。会社が遠野みらい創りカレッジの創立など会社の同僚が遠野に関係を持っていたため、宿にしても河童おじさんの予約にしても配慮していただけました。震災復興を遠野でという話を持ち込んだ言い出しっぺですが、自分は全く仕事に関わることはできませんでした。何にも貢献していないのにこんなに良くしていただいて申し訳ない気持ちがありますが。。。
伝承園にて、河童おじさんが現れました。自己紹介をしてくれ、名刺をいただきました。二代目だそうです。
まずは河童淵を案内していただき、そのあとに、伝承園を案内していただくことになりました。途中、ホップ畑を通りました。東北はホップの名産地で、遠野は麒麟ビールへ納めているそうです。
河童淵のそばの神社では、狛犬の頭に皿がありました。河童おじさんが、言われを紹介してくれます。
河童淵に到着。ここは、私有地だそうです。この河童淵の所有者が初代河童おじさんだそうです。河童淵では、河童釣りができますが、伝承園にて許可証を購入する必要があるそうです。持っていなかったので、河童おじさんから特別に実質有効期限のない許可証をいただき河童釣りを始めました。
河童淵は、もっと急流な流れのところだと思いましたが、緩やかな静かな淵です。
河童淵の後に、伝承園を案内していただきました。河童おじさんには2時間も付き合っていただきました。ガイド料もなく、楽しいトークでした。ありがとうございます。
伝承園を後にし、遠野みらい創りカレッッジを訪問しました。
遠野、充実した休日でした!